「フォニイ」にハマって考察してみた話

わざわざ言わなくても既に広く知られた作品であるので、フォニイとはなんぞやを詳しく語るまでもないだろう。動画のURLをここに紹介する。


フォニイ / phony - kafu [オリジナル] - YouTube

 


詩的な美しさや、それを含めた1つの音楽作品としての芸術性に心を打たれたので、勢いに任せてその感想を書き殴ってみた。普段こういう文章あまり書かないので読みにくそう。

当然のことだが作品に触れてのメッセージの受け取り方は人それぞれなので、ここで言うこと全てに成否は存在しない。

 

 

 

以下、歌詞

 

この世で造花より綺麗な花はないわ

何故ならば総ては嘘で出来ている

antipathy world

 


絶望の雨はあたしの傘を突いて

湿らす前髪とこころの裏面

煩わしいわ

 


何時しか言の葉は疾うに枯れきって

事の実があたしに熟れている

鏡に映り嘘を描いて

自らを見失った絵画

 


パパッパラパッパララッパッパ

謎々かぞえて遊びましょう

タタッタラタッタララッタッタ

何故何故此処で踊っているでしょう

 


簡単なことも解らないわあたしって何だっけ

それすら夜の手に絆されて愛のように消える

さようならも言えぬ儘泣いたフォニイ

嘘に絡まっているあたしはフォニイ

antipathy world

 


何時しかそらの音がいやに鳴り合って

色の目があなたを溶いている

鏡に映るあたしを欠いて

誰しもが見間違った虚像

 


如何して愛なんてものに群がり

それを欲して生きるのだ

今日も泳いでいる夜の電車が通り去っていく

踊り明かせよ

 


パパッパラパッパララッパッパ

謎々騙して歌いましょう

タタッタラタッタララッタッタ

何故何故此処が痛むのでしょう

 


散々な日々は変わらないわ

絶望の雨は止まないわ

さようならも言えぬ儘泣いたフォニイ

嘘に絡まっているただ

 


簡単なことも解らないわあたしって何だっけ

それすら夜の手に絆されて愛のように消える

さようならまたねと呟いたフォニイ

嘘に絡まっているあたしはフォニイ

造花だけが知っている秘密のフォニイ

 

 

 

 

 

 

曲の流れは全体的に、大きな主張をしないベースをメインにした比較的静かなリズムで進んでいき、多くは自嘲や自責で構成されている。そしてサビは慟哭のように力強く己の想いを叫ぶ。

 

 

 

順番に歌詞を見ながら解読していく。

 

 

 

この世で造花より綺麗な花はないわ

何故ならば総ては嘘で出来ている

antipathy world

 


主人公(後の歌詞から「あたし」を指すことが読み取れる)の強い主張から始まる。

 


この世に存在する花を並べた時、造花はいかなる花よりも綺麗だと述べ、その理由は「総てが嘘で出来ているから」だと説明している。

 


ここで言う「造花」は「生花」の対比であるだろうと読めるため、自然なありのままの姿(生花)に対して、他に見られることを想定して作り上げた装い(造花)の方が綺麗だという意味の主張であることが窺える。

そしてその作り上げられた主人公の外面の装いが「嘘」で出来ているということを暗に示す。

 


antipathyは反感や嫌悪を示す英単語で、そんな造花の方が綺麗だというくだらない世界を侮蔑している。

 


女性的な言い回しの「造花より綺麗な花はないわ」と「antipathy world」の韻、健気ながらも何か思うことがあり強く自らのその主張を信じる「antipathy」という言葉が響く。

「ないわ」の末の音程がやや上向きなことに対し、「world」の音程が下向きであることも、斜に構えたようなスタンスを感じる。

 


また、間奏に入っているカットアップ(切り貼りしたバラバラの音声データの表現のこと。)の人の声は、この後の歌詞から窺える、己を見失い彷徨う嘆きの声のように聴こえる。

 

 

 

絶望の雨はあたしの傘を突いて

湿らす前髪とこころの裏面

煩わしいわ

 


どこか投げやりで悲観的な出だしで始まった歌詞に続く「絶望」と「雨」のフレーズは、涙を喩えるものであるだろうと読める。

まばらに降り注ぐような音を奏でるピアノの音も、この涙を表す雨を示しているように聴こえる。

そしてこの「絶望の雨」は、「あたし」へ降り注ぐことを遮るための傘を突き、前髪と「こころの裏面」までを湿らせている。

絶望が「あたし」の外面から内面までを濡らしている比喩で、その降り注ぐ鬱陶しい雨を煩わしく思う。

 

 

 

何時しか言の葉は疾うに枯れきって

事の実があたしに熟れている

鏡に映り嘘を描いて

自らを見失った絵画

 


冒頭で花という植物に例えられた主張からの流れで、「言葉」を示す「言」「葉」を植物の葉に見立て、また「事実」を示す「事」「実」を植物の実に見立てている。

造花のように見繕った「あたし」に付く葉は時間の経過とともに疾うに枯れていて、そこに成った実もまた、熟れるほど既に時が経っている。

いずれも「あたし」を作り上げる嘘から出来たもので、嘘の「言葉」で塗り固められた姿は、時の流れとともに取り返せない嘘の「事実」として他に認識されてしまっている。

 


そうして自らの姿を鏡に映し、それを見てまた嘘で己を描き続けることで自らの本来の姿を見失っていく。

「絵画」と書き「メイク」と読ませていることから、化粧の意味合いでのメイクと物を描く絵画を結び付け、造花に見立てた己の姿をモチーフとしてキャンバスに描く様子を連想させ、またその己の顔をメイクで作り上げる様子を、本来の自分の姿をより良く見せるために作り上げる一種の「嘘」で繕わせる行為に見立て、その果てに本来の自分と乖離していく模様を比喩している。

加えてMV内で度々キャラクターが被るお面は、このメイクと同様に他に見せる己の姿を表しているであろう。

 

 

 

パパッパラパッパララッパッパ

謎々かぞえて遊びましょう

タタッタラタッタララッタッタ

何故何故此処で踊っているでしょう

 


この行為をいままで何度繰り返し、どうして自分はそのようなことをしているのか、しなくてはならなくなったのかを1つ1つ数えながら嘆きどうしてそんなことをしているのかとその理由を求める。

踊る姿は道化の姿を暗に示し、パッパラパタッタラタと踊る様はその滑稽さを表す。

 

 

 

簡単なことも解らないわあたしって何だっけ

それすら夜の手に絆されて愛のように消える

さようならも言えぬ儘泣いたフォニイ

嘘に絡まっているあたしはフォニイ

antipathy world

 


ここまでの歌詞の通り自分を見失い、「あたしって何だっけ」というその簡単であるはずの問いの答えさえも得られない。

夜という暗闇は内面の真っ黒な心を表し、それに絆されてもう離れられず、その暗闇に「愛のように消える」。

ここで出てくる「愛」については、後にこのフレーズが出てくる時にその意味を考える。

 


ここで初めて曲のタイトル名でもある「フォニイ」という単語が出てくる。

 


Phonyは「偽の」「インチキの」といった意味の英単語。形容詞でなく名詞で用いると、「詐欺師」「ペテン師」とも表す。

 


直前の「絆される」と「絡まっている」という似た意味合いのこの2つの言葉の関連性から、やはり前の「夜」が示すところは、ここまで歌詞で主題として取り上げられてきた「嘘」であるだろうと予想する。

そして「あたし」は「フォニイ」であることがここで断定される。

 

 

 

何時しかそらの音がいやに鳴り合って

色の目があなたを溶いている

鏡に映るあたしを欠いて

誰しもが見間違った虚像

 


そらの音は空耳(いや=嫌=yar)、色の目は色目を使うということを示していると最初は思ったが、色目についてはどちらかというと色眼鏡で「あたし」を見る様子の方を言っているのかと思う。嘘で作られた虚像の自分に媚びへつらう相手の色目を使う様とも取れるので、どちらの意味もあるかもしれない。

「そらの音」の「そら」が平仮名で表されている理由が、自分では気づかなかったのだが、この歌の部分の音階がソとラの2音で構成されていることと掛けられている。ベースとドラムのリズムのみが響く中、ソとラの2音だけの主旋律が、空虚でだらりと響く様子を演出している。

空耳や色眼鏡はどちらも周囲からの自分へ向けられる表立たない噂や評価のことを示すが、ここで「あたし」ではなく「あなた」であるのは周囲からの視点で「あたし」を指す「あなた」であるか、あるいは本来の「あたし」と乖離した鏡に映る「あたし」を指す「あなた」であるか、いずれにしてもこの「あなた」は客観的に見た自分自身のことを指していると考える。

そして周囲の人間達の中にいる、本来の自分とはかけ離れた虚像の自分はその自己同一性を欠いて、周囲の誰しもに偽りの姿を自分の姿として誤認されている模様を表す。また、「虚像」は「フェイク」読ませ、一番の歌詞である「絵画(メイク)」との韻により結び付けられ、同様に嘘で固められた偽りの己の姿を強調させる。

ここで印象的なのは、「鏡」という歌詞が出た時にバックで響く、鏡が割れるような音である。

この演出には、虚像として映る醜い己の姿を見て手をその鏡に付け、震える手が鏡にヒビを入れるような映像を脳内に映し出させる。

 

 

 

如何して愛なんてものに群がり

それを欲して生きるのだ

今日も泳いでいる夜の電車が通り去っていく

踊り明かせよ

 


ここでサビに出てきた「愛」という言葉が出てくる。この「愛」は、他から与えられる己への評価のことを示していると考えていて、もっと具体的に言うとSNSの「いいね」に該当すると思う。

これを得るために、評価に相応しい栄えある姿を演出しようと醜く嘘の自分を作り上げ、それを欲して群がる行為への批判的な意味合いを感じた。

 

 

 

それすら夜の手に絆されて愛のように消える

 


それを踏まえて改めて先のサビのフレーズを見ると、高速で消費される大量の情報が溢れるSNSのような場所で貰うたった一時の評価のようにあっという間に消えていく、と言うようなニュアンスであると考える。

 


話を戻す。

「夜の電車」は流動的な夜景を示し、その人工的な風景で表された綺麗さは、ここまでずっとテーマにされている「自然のものではなく偽りの作り物」であることを示している。

学校や会社からの帰り道に眺めた風景で感じた心情を示しているように感じる。

 


そしてそのあらゆる虚像に自暴自棄になり、全てを投げ出して踊り明かす。

ここでもまた鏡が割れる音が鳴るが、こちらは考えることを止めて、例えば手に持ったグラスを投げ出したような様子を暗に示しているように聴こえる。

 

 

 

パパッパラパッパララッパッパ

謎々騙して歌いましょう

タタッタラタッタララッタッタ

何故何故此処が痛むのでしょう

 


一番と似ているが、ここでは先のように諦めから己を「騙して」いる。

そして一番と同じ言葉である「此処」が示す内容が変わる。言わずもがな、俯き手を胸に当て苦しむ「あたし」の姿が浮かぶ。

 

 

 

散々な日々は変わらないわ

絶望の雨は止まないわ

さようならも言えぬ儘泣いたフォニイ

嘘に絡まっているただ

 


この直前の間奏は字幕で「DANCETIME」と表されている。先の通り、考えることを投げ出し踊り明かす様子は諦めを示す。

そのままでいれば変わることはなく苦しみは続く。このパートは今までの歌詞の内容と同様で、ここまでの己の姿を反芻する。

 

 

 

簡単なことも解らないわあたしって何だっけ

それすら夜の手に絆されて愛のように消える

さようならまたねと呟いたフォニイ

嘘に絡まっているあたしはフォニイ

造花だけが知っている秘密のフォニイ

 


ラスサビ。

ここで、虚像の己である「フォニイ」に「さようならまたね」と、今まで言えなかった別れを決意し実行する。

最後の「造花」と「フォニイ」はその決別を経て切り離されていて、「造花」はそれまでの嘘で作られた元自分、そして「フォニイ」は「フォニイだったもの」として本来の自分を示している。その苦悩や歩んできた道は、元々偽りの自分を作っていた「造花」である元自分だけが覚えておくよという別れの挨拶のように思う。

 

 

 

そんな感じです。

最初にも言ったけど、本来の作者の意図とは異なり見当違いかどうかは分からないしその答えは問題ではないので、真に受けないで適当に読んでください。

ただ1つ言えるのは、良い作品だという事です。

 


以上